8月2日 サンパウロ


ビザのトラブルで2日遅れとなってしまったが、21時40分ニューヨーク発のフライトで、朝9時にサンパウロに到着。およそ10時間の夜間飛行。あまり眠れなかったが、すでに10時からのワークショップが予定されていたので、ホテルにはチェックインせず、そのまま空港から直行。会場に着くと、すでに40名近いエデュケーターやライブラリアン、イラストレーターやデザイナーなど、プロフェッションのヒトたちが集まっていた。道路が渋滞し、開始時刻には間に合わなかったが、とてもフレンドリーに迎えてくれた。およそ2時間のワークショップを終え、一旦ホテルにチェックイン。その後コンファレンス、食事会と続き、ホテルに戻ってきたのは夜の12時を回っていた。さすがにそのまま朝まで眠り込む。

ニューヨーク HIGH LINE


ニューヨークに新しいスポットができていた。その名も「HIGH LINE」。10番街33丁目から13丁目の間にあった以前の鉄道を、遊歩道につくり替えたもの。旅行者はもちろん、ニューヨーカーたちも散歩を楽しんでいた。時間があれば、途中休みながらゆっくり歩くのもいい。



7月31日 まさかのトラブル

30日の夜の便で、ニューヨークからサンパウロへ。ところが自動搭乗を試みるも画面には「警告」のサインが。係のヒトに確認すると「ビザが必要だ」と言う。「えっ、ビザが?」…。出発直前に届いた一通の招待状を見せ事情を説明。主催者からはこの書類を空港で見せればOKだと言ってはいたが…。カウンターでは「ダメ」の一点張り。「私たちはポルトガル語が読めない」と、決してフレンドリーな対応ではない。携帯もここニューヨークでは使えず、ましてやサンパウロの主催者に連絡をしなくては。「電話を」と交渉するも「1回だけなら」とやっと許可がおり、主催者に電話が繋がる。事のいきさつを伝えると「OH NO」と彼女も絶句。とにかく今夜は飛行機をキャンセルしなければ。また列に並び、次回の便の予約を試みるも、今度は空席がない。「スタンドバイでも構わないから」と交渉し、2日遅れの便をなんとかおさえた。さて次は今夜の泊るところを探さなくては。そう言えばと思い出し、折しもパリから来ているエリザベットの滞在先の電話番号を見つけ、「電話を」と交渉するも、またしても「ダメ、私たちは忙しいのよ」と言われ、あちこちと空港内を歩き、なんとか電話にこぎつけたがエリザベットは不在。友人のフランソワーが「こちらにいらっしゃいよ」と、とても親切に対応してくれ、すぐに空港から地下鉄にのり、15丁目にある彼女のロフトへ。たどりついた時には、すでに夜の10時をまわっていた。ご主人が建築家で、改装されたロフトは素晴らしい。パスタもご馳走になり、そのうちエリザベットたちも帰宅。悪夢から一転。楽しい談話となった。

さて翌日。朝一番にブラジル領事館へ。ところがネットで調べた住所にはすでにオフィスはなく、7年前に引っ越したという。「嫌な予感」…。50丁目の5番街から47丁目の6番街へ向かう。中に入るとヒトでゴッタ返し。事前にブラジル側から領事館に交渉済みと聞いていたので、事情を説明、するとすぐに係の女性が窓口に現れ「アプリケーションフォームと写真と郵便局で作られたマネーオーダーが必要なの」と一切の愛想もなく対応。オフィス内にあったコンピュータでアプリケーションフォームを入力し、さて次は写真。渡されたカードにその場所が記され、今度は5番街へ向かう。行くと、小さなオフィスがあり、おばさんが待ち受けていた。「ブラジルのビザ用の写真を」と伝えると、小さなデジカメを取り出し、ごく「フツー」に撮影。その後プリントアウトされたものをカットしてくれたのだが、これが真っ直ぐではなく曲がっている。ビザの発行には最低1週間はかかると言われ、とりあえずマネーオーダーの金額と郵便局の場所を確認し、今度は43丁目にある郵便局へ向かう。いつもながらの長い列が待ち受けていたが、辛抱強く並び、そして「$160」のマネーオーダーを作成。ひとまず準備もでき、空腹感もあり、33丁目にある韓国レストランで「ソーロンタン」を食べることに。

明日の朝、書類を提出すればいいと思い、ひとまずフランソワーのロフトに戻ってくると、留守中にブラジルから電話があり「今日中に領事館へビザ申請の書類を提出してください」との伝言。急いで領事館へと向かう。またしてもヒトでゴッタ返ししているも、今度は少し待遇に変化が。先ほど窓口で対応してくれた女性がすぐに出てきて「どうしてすぐに来なかったの」と厳しく言われ、さらに書類やマネーオーダーを渡すと、「これではダメ。日本人の場合は$60でいいの。作り直してすぐに来てください。写真もここにノリで貼って、サインをここに。オフィスは4時で閉まるから」……。しばらく絶句するも気を取り直し、また43丁目の郵便局へ。長い列に再び並び、マネーオーダーを作り替え、また47丁目のオフィスへ。「あっ、スティックのりがいる」と途中気付くも、それらしきお店がない。破れかぶれに入ったFEDEXのお店に、なんとスティックのりが売っていた。「ラッキー」…。このあたりから気分がポジティブに変わってきた。今日はこれで3回目になる領事館オフィスに行くと、先ほどの女性が窓口に現れ、書類を渡すと「OK。明日11時にビザをとりにきてください」と、最後にしてやっと少しの笑みを浮かべながら対応してくれた。なんとかビザはOKとなった。帰宅後に、再度、航空券の予約を確認すると、キャンセル待ちのスタンドバイではなく、正式な予約を確保することができた。

今日はマンハッタンを行ったり来たり。やり直しや間違いもいろいろあったが、なんとか乗り越えることができ、明日の夜、サンパウロへ向かうことができる。予定されていた1日目のコンファレンスには出席できなかったが、替わりに文書を作成しメールで送り、明日の夜にニューヨークを出発できることを伝えると、すぐに主催者から、安堵とお礼を伝えるメールが返ってきた。

7月30日 NEW YORK


ソウル、インチョン空港から、およそ14時間のフライトでニューヨークJFK空港に。空港周辺は治安が悪く、地下鉄に乗っていてもさすがに緊張する。途中AトレインからEトレインに乗換え、馴染みのある53丁目の駅で降りる。30年前、CBSで仕事をしていた頃には毎日のように利用していた駅。写真のビルがCBS。当時27階でグラフィックデザイナーとして仕事をしていた。「懐かしい」…。ホテルでチェックインを済ませ、すぐに街を散策。ニューヨークは3年ぶりになるが新しいビルも増えている。

MoMAの展示「Growing by Design 1990~2000」も始まっている。折しもパリから来ているエリザベットとコリーヌ、そしてマークとカフェで待ち合わせをし、コロンバスサークルに数年前にできたMAD(MUSEUM OF ART & DESIGN)の最上階のレストランで食事をすることに。まだ時間があったので、光がきれいなセントラルパークを歩く。


天気も良く、とても新鮮なニューヨークの一日となった。

7月10日 チョンジャ


ここチョンジャからソウルの中心地カンナムまでは、新しい地下鉄が一本通っており、快速で20分。スタジオのある建物もチョンジャ駅からすぐそばにあり、とても便利。住宅街とオフィス街で賑わい、ランチにはどっと人々がレストランへ繰り出し、どこもかしこもヒトで溢れている。毎朝6時に起床。気のせいか年々起きる時間帯が早まっているように思えるが、毎朝のウォーキングにはちょうどよい。1時間半ほど歩くのだが、結構な距離を歩いている。買ったばかりの運動靴だったため、足にマメができた。

聴覚障がい児童に向けた本


パリから汽車で1時間ほどの距離にあるアミアン市にある公立美術学校。ここでは長年手話を研究しているチームがあり、このプロジェクトは、彼らからの依頼で昨年10月よりスタートしている。今回は3つの動物の手話を選び、実際に子どもたちがどのような反応をするのか確かめる目的で、事前に試作を東京で作成しパリを訪れた。パリ市内の図書館に集められた2つの学校からやってきた子どもたち。子どもが集まるといつもは賑やかなはずが、今回はいつもと違いとても静か。やがて私のプレゼンテーションが始まると、食い入るように見つめる彼らの視線と、そして実際に触れてもらったときの、紙をていねいに扱う仕草はとても印象的だった。子どもたちの反応はとてもよく、先生方からの貴重なアドバイスも受取ることができ、そして出版社とも本の方向性が確認でき、今年の10月の出版を目指すことになった。





6月18日 パリから


今夜、パリから帰国の途につく。11日にソウルからパリに到着。あっという間の一週間が過ぎた。着いたその翌日には、パリ市内の図書館で、聴覚障がい児童に向けた手話の本のプレゼンテーションと、そしてワークショップが行われた。興味深く紙に触れる子どもたちの様子がとても印象的だった。その後、レトワゾーでのワークショップや、週末は、サンジェルマンにある古い教会のすぐそばで開催されたブックフェアーでのサイン会。


会場内には、詩集の本が多く出展され、興味深い本が並べられていた。金曜、土曜日はあいにく曇り空で時おり雨も降り、今ひとつの来場者だったが、日曜日は青空がひろがり、どっとヒトも押し寄せ、次々とサインに追われた。会場を5時ごろ出て、その後は久しぶりの休日を、パリの街を散策しながら楽しんだ。


ノートルダム寺院の修復後は、寺院内を見学する観光客の行列が数10メートルに及ぶ。